捻くれモノの学園青春物語~俺と彼女の裏表~http://libido-soft.net/2nd/おいおいめっちゃ良いゲーム作るじゃん!これだよこういうのだよ!りびどーそふとさんの
『捻くれモノの学園青春物語~俺と彼女の裏表~』。これがまさかのほろ苦い名作じゃないですか!いわゆるスクールカーストをテーマにした陰キャの物語なのですが、そんな主人公とヒロイン達が「青春倶楽部」の中で交流していく中で、大切な事に気づき、成長していく群像劇となっています。
正直、主人公は全然格好良くありません。惨めで卑屈で、捻くれてるといっても、それはただただ自分から世界を拒絶しているにすぎない。そこから傷ついてでも前に進んでいく、主人公、ヒロイン共に痛みを伴う最近だと結構珍しい作品となっています。
特にトラウマ要素を抱えていたり、ときに傷つけあうハリネズミのジレンマのような展開は、あくまでもマイルドに表現されていますが、泣きゲーが流行った後のやたら深刻なトラウマによって恋愛が深刻化していく時代の残滓も感じられて、懐かしさがありますね(笑)
何より、作りがとても丁寧で野心的です!時間制限付き選択肢や、作中クイズで遊べるといったちょっとしたゲーム要素などがシナリオに統合する形で組み込まれているなど、現代では排除されて久しい装飾的な要素が盛り込まれていたり、重要な局面でどう考えて選ぶと即BADな分りやすい選択肢があり、選ぶと当然BADに飛ばされて、理事長からありがたい薫陶を受けるなどプレイしていて楽しい。
そしてサブキャラクターも重要であり、全員にちゃんと役割が存在し、不要なキャラクターがいません。登場時から、何かしら匂わせてくる陽キャ達も、シナリオ上で重要な役割が存在し、主人公と或いはヒロインと何かしら因縁があったり、主人公に対して何かしら抱えているものがあったりします。
メインビジュアルの後方に移っているサブキャラクター達もまた本編を彩る重要人物です。
ちょっとここからの話は脱線なので括弧で括っておきます。
このスクールカーストというテーマ。
そして本作の陰キャと陽キャという対立構造。
この構造というのは、何故必要なのでしょうか?
というのも、この構造は、昔はオタクと一般人のように括られていました。
しかし、オタクが一般化したことでその対立軸は形骸化します。
何故なら、一般人と呼ばれる層が漫画やアニメを一切見ないのか、スマホでゲームをやらないのか、音楽はいったい何を聴くのか、そもそもオタク側からクリエイターが登場したり、ボカロといった新たなジャンルの音楽が生まれたり、コスプレイヤーといったビジュアル面でも華やかな存在が表れてしまったことで、そこに対して一般人の優位性というものを表現することが不可能になります。
オタク層と一般人で分けてしまうと、それでスクールカーストを構成したとき、一般人の方が下層に来てしまう。
スクールカーストっていうのは単純なもので、美人だと上みたいな程度でしかありません。
じゃあそこに下層なはずのオタク層からコスプレイヤーなどが登場した場合、それはもう下克上というか、優位性の崩壊に他ならずスクールカーストというシステムが機能しなくなる。
そこで次に登場した概念が「リア充」「非リア充」です。
オタクと一般人で分けられなくなった結果、今度はリアルが充実しているか、していないかという分け方に変化した。
その次に「陽キャ」「陰キャ」という概念が登場してきます。
じゃあそこで疑問なのは、そもそもこの対立構造を誰が必要としているのか?
わざわざ分ける必要が何故あるのか?
疑問に思ったことはありませんか?
だいたい休日にBBQでもしてたらリア充で陽キャなのか?
そしてその人物は日々何の悩みもなく、何も考えずテキトーに生きているのか?
それを敵視する必要性が何処に存在するのか?
あらゆる疑問がそこにあります。
この対立構造を維持することで、逆に言えば本来は存在しないこの対立構造をあえて作り出すことで、スクールカーストという層が分断されているというマインドを自然と刷り込んでいますが、これはかなり危険なことだと思うよ。
個人的にはスクールカーストとか、こういう対立軸には全く賛同出来ないし、個人的に現実としての実感がないので、イマイチピンと来ませんが、誰がこの対立軸を必要としているのか、それはよくよく考えた方が良いでしょうね。
と、まぁ脱線話はここまでとして、ヒロインはヒロインでちゃんと主人公じゃないと駄目な理由があります。
古見さん、古見さんじゃないか!!スケッチブックがないとコミュニケーションが取れない「さやか」ちゃん。
実は家庭に問題を抱えており、色々あってのコミュ障なのですが、めちゃめちゃ素直!
書店でうっかり主人公に襲われても許してくれる天使です。スケッチブックで会話と言えば、サンデーで連載されている漫画、古見さんがありますが、あの漫画のヒロインである古見さんを美少女ゲーム的に表現したらこうなったという感じですね。
このルートの主人公はかなりダサいのですが、しかし本作は、そういうダサくて惨めでも見っとも無くても、それが青春であり、それを受け入れて成長していくことがテーマになっているので、全く問題ありません。
主人公が大好きで毎日ストーカーしている幼馴染の「雫」ちゃん。実はGカップでめちゃめちゃ美人ですが、普段はそれを隠している。
基本的に主人公以外の全てを敵視しており、クラスメイトに対しても辛辣で容赦がない。
そうした性格もあり、主人公とは(開始時点)疎遠になっていますが、それは主人公が嫌っているだけで、雫ちゃんとしては大好きで堪らない。というか、主人公に極端に依存しているヒロインだけに、青春倶楽部に入ったことで、変わろうとする成長しようとする主人公に対して不安を覚えるといった捻くれているヒロイン。
でも、おっぱい大きいから正義!他にも「青春倶楽部」を設立し、何かと主人公のサポートをしてくれる金髪○リ理事長もヒロインだったり、本来は陰キャではなく陽キャの「唯」ちゃんが青春倶楽部に入部したりと多様で複雑なヒロイン達との恋愛が楽しめます。
ヒロインによって物語も大きく変わり、理事長の観月先生ルートでは、波乱を呼ぶ厄介な転校生がやってきたりと、予想外の方向に発展したりも。かといって、全体的に長くてダレるわけではなく、起承転結が明快で、山場と解決が1セットでEDまで進むのでテンポ良くすっきり楽しめます。
これで長かったりするとかなりダレると思う。
テーマがテーマだけに、こういうのはあまりやりすぎると説教臭くなってどうしても陳腐化しがちでしつこくなるので、あえてそれを抑えて、それぞれのルートで違った視点から表現しているのが良いですね!
本作のような完成度の作品がどうして少なくなっているのかというと、実は単純な理由です。こういう作品は複数ライターだとまず生まれません。これは絶対的にそうです。
本作も確認すると、シナリオ・構成をお一人でやられていますが、だからこそだと思う。
これより規模が大きくなってボリュームが増えると現実的に一人では厳しくなる。
そこで複数ライターになるのですが、そうなると一気につまらなくなる。
それはテーマを突き詰めてそれに対して、こういう答えを出そうというのは、その人個人の資質によるものが大きく、それを複数で共有してやろうというのは難しいんですよね。どうしても認識に齟齬が出てくるし、複数ライター制の駄目な作品だと主人公やヒロインの基本的な性格ですらルート毎に違いがあるというようなことも起こりがちです。
本作は単独でやっているからこそ、どの局面、どのルートでも主人公やヒロインは一貫しており、ブレない。そういう一貫性っていうのはプレイ後に感じる納得感、完成度に多大な影響を及ぼすものですし、
だからこそ本作というのは、「りびどーそふと」さんというメーカーの“らしさ”がこの上なく表現されていると思います。本作はメーカーとして2作目だそうですが、規模としては十分で、ヒロイン数も多いですし、今度にとても期待出来る、素晴らしい作品となっているので、これからの活躍に注目のメーカーですね!久しぶりにこういうオーソドックスな学園恋愛ADVというのをプレイしましたが、まだまだこうやって面白いゲームが作れるメーカーが存在する、そういうことが堪らなく嬉しい。
【星】
★★★★★★★★★★
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